2月4日、千丸剛の懲役刑が言い渡されましたが、
その法廷には恩師である岩井隆監督が情状証人として出廷していました。
苦楽を共にし甲子園を制覇した教え子の法廷での姿を、
どのような気持ちで見つめていたのでしょうか。
岩井隆監督の経歴
大学時代に野球選手としての道には限界を感じ、教職の道に進みました。
高校では、社会科の教諭と野球部の監督を兼任しています。
- 岩井隆(いわいたかし)
- 1970年生まれ
- 埼玉県川口市出身
- 桐光学園高等学校 卒業
- 東北福祉大学 卒業
- 2001年 花咲徳栄高校野球部の監督就任
- 2017年 夏の甲子園大会優勝
自身が受け持つ倫理の授業で哲学も学ぶそうです。
そのなかで岩井隆監督に刺さった考え方がこちら。
ここから名将としての道が開いていきます。
岩井隆監督の恩師 稲垣人司について
小3から野球に打ち込んでいた中学3年生の岩井少年は、
埼玉県内の強豪校への進学を希望しましたが…
と、身体的理由で断られてしまいます。
そんな時に見学に行った別の学校で稲垣人司氏に出会います。
「体が小さいからって何なんだ。誰が本塁を踏んでも1点。180センチの選手なら2点になるなんてことはない」。15歳の岩井はこの時、「この人に一生付いていくと決めた」。
(出典:夕刊フジ)
稲垣人司氏が桐光学園に赴任すると知り、猛勉強して入学。
※右が当時桐光学園だった稲垣氏
恩師 稲垣人司監督の死と遺言
東北福祉大卒業後、社会科の教諭として桐光学園に赴任。
稲垣人司監督の下で野球部のコーチになります。
ところが、2000年の練習試合中に稲垣氏が心筋梗塞で倒れ
そのまま亡くなってしまいまう悲しい出来事が。
稲垣監督が最後に残した言葉は…
逃げるな!
翌年2001年から正式な監督に就任。
稲垣監督の死を目の当たりにしてショックを受けている
生徒たちと甲子園を目指すことになります。
監督として花開いた校長からの言葉
監督就任後、佐藤照子校長に呼び出されこんな会話をします。
「監督就任時、佐藤先生から校長室に呼ばれ、『(野球部が試合の)後半に弱い状態を立て直すにはどうすればいいのか?』と聞かれた。『後半に弱いのは自信がないからなので、もっと練習で追い込んだ方がいいと思います』と答えたら、ガラスが割れるくらいの声で怒られた。『あなたは、まだ子供たちを苦しませるんですか!』『一つのミスをみんなでカバーするチームにはできないんですか』と…」
(出典:産経新聞)
佐藤校長からの言葉をきっかけとして、
岩井監督のスタイルが確立していきます。
そして2017年夏、埼玉県勢初の優勝を飾ります。
埼玉県勢初優勝
「花咲徳栄」岩井 隆監督の表情も素敵 pic.twitter.com/oHtdetftB5
— 高校野球Only (@GbSv9) August 23, 2017
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千丸剛の裁判での岩井隆監督の証言
そんな偉業を監督と共に成し遂げた、
当時キャプテンだった千丸剛(ちまるつよし)。
駒沢大学での野球生活がうまくいかず、
ついに強盗致傷という恐ろしい犯罪を犯してしまします。
これを聞いた時の岩井監督の気持ちを想像すると…
信じられない気持ち、怒り、悲しみ、絶望…
怖いです、絶対に味わいたくないです。
岩井監督は、「もう少し寄り添っていたらこうはならなかったと思う。重いものを背負っていかなくてはならない千丸の支えになりたい」と述べた。被告は今後、岩井監督の大学時代の後輩が経営する会社に勤める予定だ。
(出典:産経新聞)
千丸剛の出所後の就職先まですでに決めてあげているようですね。
まとめ:教師はどこまで責任を負うべきか
卒業後の生徒をどこまで気にかけるか。
自分の周りを考えてみると、そういうことは少ないと感じます。
私も小中高大と関わってきた先生たちと、
卒業後に連絡をとったことはありません。
そういう意味では、岩井監督が責任を感じることではありませんが、
甲子園という一つの夢を追いかけた同志として、
こんな形で将来を潰してしまった千丸剛に寄り添いたかったのかなと思います。